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2019年 03月 31日
蕩  児 八号 2
蕩  児 八号 2_a0163099_13514800.png

 首から上の観音様に
安瀬康裕   
高速に乗り小樽を通って余市へ向かった。NHKの朝ドラ「マッサン」で人気急上昇の街であ
る。ニッカウィスキーの創業者竹鶴政孝と妻リタの物語の舞台。去年から出勤前に朝ドラを見る
余裕ができたが、見ているうちにすっかりはまってしまった。
90
になる年寄りも大ファンで、舞
台はまだ大阪だが後半に備えて現地の空気を吸ってもらおうと考えた。小樽で高速を降り、海沿
いの道を走って余市に着く。フゴッペ洞窟や毛利衛さんの余市宇宙記念館、日本中から不登校の
生徒や中退者を受け入れている北星学園余市高校などを見ながらお目当ての「ニッカウイスキー
15
首から上の観音様に
余市蒸留所」に。人が多い。以前来た時とはまるで違う。次から次にバスが到着し、観光客が広
い敷地を埋めていく。台湾や香港からの人たちも。列車も増便したようで、静かな街がそこだけ
別世界のような賑わいである。敷地には石造りの建物が整然と並び、北国の透明な光の中でスト
イックと言ってもいい雰囲気を醸し出している。ウィスキーが「長い眠り」を眠る上質の場所な
のだろう。その製造過程や博物館を見学し、当時の生活の一端を覗いてみる。2人の息づかいが
聞こえてきそうである。敷地は紅葉に染まっている。明日からの「マッサン」が楽しみになっき
た。
 それにしても、ヒロインを演じるシャーロットさんの日本語には感動。
4
月にアメリカから来
日したが、それまで日本とは一切無縁。もちろん日本語は初めて。こんな短期間でどうやってあ
れだけの日本語をと思っているとNHKが舞台裏を放送した。専属のスタッフがついて脚本を英
訳し、日本語にローマ字でふりがなを振る。一語一語の日本語に対応する英訳も併記して、つ
きっきりで発音指導を行っている。音と文字と意味をリンクさせながらセリフを暗記。文字通り
四六時中それを繰り返すのだ。外国語を学ぶすばらしいお手本だが、焦りやプレッシャーでパ
ニックの毎日だという。若さと体力そして才能は彼女の武器に違いないが役にかける情熱、集中、
継続が不可能を可能にしている。夢、情熱、意思、決断、実行、挑戦、彼女はあらゆる可能性を
16
蕩児八号
僕らに示してくれている。彼女の存在は「マッサン」のもう一つのドラマでもある。
 
 さて、帰りの高速で不思議な看板が目に入った。「首から上に効く観音様」と書いてある。何
度か走っている高速なのにはじめて目にする看板だ。一度訪ねて願掛けをしたいと思っている。
ぼくにとって首から上はなかなか厄介な存在だからだ。まだ歩き始めたばかりの頃、台所で転ん
で額に傷を負った。もちろん記憶にないが、その跡は今も残っている。顔に傷を付けることが何
度もあった。なぜだろう、一番大事な場所なのに。何かが刻印されたようで、長い間それはぼく
の悩みの対象だった。何もかもすべてが自分の一部と納得するまでしばらく時間がかかった。耳
も鼻も悪かったから耳鼻科の病院にはずいぶん世話になった。高校を卒業してすぐ鼻の手術をし
た。耳が悪くて、医者から「これでよく社会生活ができてますね」と言われたことがある。不思
議なことにできてるんです。みんな笑っているのに何のことだかわからない。聞こえるけれど聞
き取れない。よくあることだ。アナウンサーの声はよくわかる。新人アナウンサーが研修を終え
て自分の家に電話すると、「どなたですか」と聞き返されるという。それくらい声が純化される
らしい。そういえば
10
年ほど前、両耳がまったく聞こえなくなったことがある。予兆はあったが、
それはある日突然やってきた。それでも仕事は休まなかった。同僚はよく理解してくれていたし、
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首から上の観音様に
生徒も協力してくれた。 
 「そういうわけで、ぼくは今みんなの声が全く聞こえません。大変だけど授業は何とか進めた
い。しばらくの間ぼくの一方的な説明だけになると思う。できるだけ丁寧に ゆっくりやるつも
りです。声を出すときは大きな声で頼みます。不自由をかけると思うが協力してほしい。困った
ことがあれば何でも言って下さい。」
生徒達はよく協力してくれた。文句も言わず一生懸命授業に取り組んだ。いろいろと配慮をし
てくれたのだ。子供たちの思いやりに心が熱くなった。こいつらみんな信頼できる。
10
日ほど
たって快方に向かったころ、
 「不自由な思いをさせたが何とか乗り越えることができました。みんなの温かい気持ちに励ま
されてがんばることができました。授業に穴を開けずやり通すことができたのはみんなの協力の
おかげです。ありがとう。みんなと出会えたこと、こうやってみんなと過ごせることに心から感
謝しています。」
という気持ちを伝えた。いつわりのない気持ちだった。耳は僕のハンディーだけど、こんないい
ものを与えてくれるのだ。都合の悪いことは聞こえないし、ハンディーも捨てたもんじゃない。
「首から上の観音様」にはきちんとお礼も言っておこう。
18
蕩児八号

閑話休題(それはさておき)
 秋の一日「札幌コンサートホールKitara」に行った。札響を聞くためである。
6
月にも聞い
ていたが、
20
数年ぶりだった。勤めはじめたころ、先輩に誘われて札響の会員になり定期演奏会
に通っていたが、そのうち余裕がなくなり、ずっと足が遠のいていた。札幌交響楽団を親しみを
込めて僕らは「札響」と呼ぶ。岩城宏之が
30
年あまりにわたって指揮者や音楽監督として札響を
育て、今は尾高忠明さん。彼もやはり指揮者や音楽監督として長年その成長に心血を注いできた。
また、kitara は音響効果が抜群によく、世界中の音楽家のあこがれのホールだと言われている。
6
月はヴェルディーの「レクイエム」、そして今回はマーラーの「交響曲第
9
番」だ。尾高さん
は来年退任ということでことのほか力が入っているようだ。この
2
曲を聞こうと思ったのは時間
ができたこと、そして何より東京の思い出があるからだ。
「レクイエム」と聞いて東京の景色が浮かんだ。あのころモーツァルトをよく聞き、「レクイエ
ム」も何度か聞いていた。ヴェルディーは聞いたことがなかったけれど、世界3大レクイエムの
一つと言われているから一度聞いておきたかった。マーラーを初めて聞いたのは国分寺の森屋君
の部屋だった。「
9
番はやはりここから」と言って、第4楽章の始まりに針を落とし、その音楽
19
首から上の観音様に
について熱を込めて語ってくれた。ポット出の田舎者のぼくにとってジャズやクラシックとの出
会いは衝撃的だった。その後はジャズやポップスを聴くことが多かったが、マーラーは繰り返し
聴くクラシックの定番になった。もっとも音楽の素養など何もないから、ただあの美しい旋律に
身をゆだねるだけだったけれど。ヴェルディーの日は体調を崩し、震えながら座っていた。レク
イエムというにはあまりにドラマティックで華やかだった。そしてマーラーの日。からだが震え
た。第
4
楽章が始まると、分厚く力強い甘美なメロディーが全身を包む。一つ一つの楽器の音色
が僕の耳にもはっきり響く。体の奥から言いようのない感情が突き上げ、涙がこぼれた。後から
後から涙が流れた。こんなことは初めてだった。聴き慣れたはずの曲なのに。気がつくと隣の老
嬢がハンカチを目に当てている。前の男性が天を仰いでいる。鼻をすする音がする。そして静か
に消え入るようなエンディング。天国へとつながるような静けさの中ですべてが終わった。やや
あってホールが大きな拍手に包まれる。
 尾高さんは「この曲は拍手がない方がうれしい。静けさのまま帰りたい」と語っていたようだ。
そうだろう。このまま世界が暗転し向こうの世界に行ってもいい、そんなことを思わせる演奏
だった。「人生を達観して死を受け入れられる大きさ、人間味があふれているのがこの曲の魅力」
「人が死ぬときにこれ以上の曲はない」と尾高さんは言っている。なぜ涙がこみ上げるのか少し
20
蕩児八号
わかった気がした。 
20
年ほど前不思議な経験をした。明け方「カーン」という乾いた音で目が覚めた。直感的に
「あっ、彼だ」と思った。「○○が来た」と口に出していた。妻が横で不思議そうな顔をしている。
田舎に帰ると必ず会いに来てくれる高校の友人がいた。特に連絡をするわけでもないのに、帰省
すると「そろそろ来ると思っていたよ」と言って、ひょっこり訪ねて来るのだった。新聞に投稿
した俳句が採用されたと言って切り抜きを持ってきた。「いるとうるさいが、いないと寂しい。あ
あいう愛すべき人間になることだね」と好きだった国語の教師が言っていた。「最後になるかも
しれないから写真を撮ろう」と言って写真を撮ったことがある。変なことを言うなと思っていた。
その彼が「来た」と直感したのだ。その夜、田舎の父から彼の死を知らせる電話が入った。悲し
いという感情はなかった。ただ彼が「会いに来てくれた」という感覚が、明確な輪郭を持って残っ
ていた。
マーラーの夜そんなことを思い出していた。
 ほかにもいくつか不思議な体験をした。身近な人から似たような話を聞いたこともある。「向
こうの世界」があるのではないかと思うようになった。向こうの世界に行ったとき、「そろそろ
21
首から上の観音様に
来ると思っていたよ」といって彼が出迎えてくれるような気がする。
 
 和田君が亡くなったという知らせをもらって3年になる。和田君とは個人的な交友はなかった
が、同じ時代を生き夢や思いを共有した仲間のひとりが逝った。そのことが寂しい。そちらの世
界に行ったらぜひ話をきかせて下さい。
 葉山君の「僕にとても近い人だ」という言葉が心に残っている。
 人生の幸せは何かと問われれば、「やるべき仕事があり、信頼できる仲間がおり、健康であれば
おおむねよしとすべし」というのが僕のささやかな持論である。恥ずべきことの多い人生ではあ
るが、やりがいのある仕事、良き仲間に恵まれてここまで歩む事ができた。とりわけ「蕩児」の
みんなと出会い、ともに過ごした時間はぼくにとってかけがえのない宝であり、ひときわ輝く特
別な時間としてこころの奥深くしまわれている。人生の一区切りを迎えたが、本番はこれからと
思いたい。すべての出会いに感謝しながら、生涯現役、毎日わくわく暮らせたらこれに過ぎるも
のはない。
〈了〉



# by fox_tail425 | 2019-03-31 23:12 | 蕩  児 八号
2019年 03月 31日
蕩  児 八号 1
蕩  児 八号 1_a0163099_13514800.png


蕩  児 八号
     目 次
刊行にあたって
                    谷川 律
4
詩三編                 村井 八郎 
10
首から上の観音様に
                  安瀬 康裕 
14
               
(22)

言葉につられて我知らず
              倉田 遵三郎 
28
映画、還暦まで
                    鎮目  博 
34
薔薇の季節
                        葉山 洋蔵 
74
忠孝倫理の展開- 後期水戸学を中心として  佐藤 茂樹 
238


刊行にあたって

 「今さらどうして」と言われるかもしれない。前回の『蕩児』発行は
1
9
9
6
12
月、和暦では平成八年である。すでに
18
年が経ってしまった。同人意識自体が薄れて
いても当然な歳月なのだが、少なくとも在京同人は不定期的ながらも年に何度かの会
合をもち、折々に蕩児刊行を話題としてきたし、「今度皆で温泉にでも行こうよ」と
いった程度の軽い〝ご愛嬌〟めいた挨拶になりつつあったとしても、「いずれ刊行す
ることに変わりはない」との共通意識はあったように思う。
 それに意味があるのかどうかはともかく、この間、同人たちは老年期を迎えること
となり、人生の終焉が避けられない現実として迫っていることを実感しはじめてい
るはずである。かつて我々が多感な時代に乗り越えるべき対象として身近に存在した
大人たちは、それが愛すべき祖父母や両親、あるいは尊敬する先生であっても、もう
かなりの人たちが物故者か認知症気味の高齢者になっている。また、同世代の友人の
5

なかにはすでに逝った者もいる。
 多くの人がそうした先人たちを見送りながら、やがてやって来る自分の死を徐々に
受け入れていくものなのだろう。そして、哲学者や思想家、芸術家たちが与えてくれ
た知的喜びはそれほど大きな価値をもたなくなったかのように日々の生活から次第に
後退し、衰えていく体力や気力は日常をやり過ごしていくためにだけ費やされがちと

なる。我々同人もそうした世代なのに、どうして今さら〝書く〟ことにこだわり自我
の痕跡を残そうとするのか。
 ある同人は言う。「いったい誰に何を伝えたいのか」と。
 社会的役割を終えた老人にありがちな自己存在の証を記録しておきたいという欲求
であり、加齢臭と同様に他人から受け入れられにくいものではないのか、といった問
いかけであろう。確かに青年期の同人活動とはまったく違った意味になろうし、具体
的な読者も想定はしていない。結果的に、読者は家族か友人か、あるいは親しい仕事
関係の知人に限定されてしまう可能性が高い。そうした読者のいない〝書く〟行為は
言わば自身に向けた備忘録的意味しかなく、広く頒布してもはた迷惑なものとなって
しまう。
6

 しかし、こうも思うのだ。今の我々にとってそこまで〝書く〟意味を求める必要が
あるのかと。
 学生の頃、我々はインクに手を汚しながらガリ版の同人誌を発行し続けた。社会人
になって金銭的余裕が出てくるに従い。同人誌はガリ刷りから軽印刷やオフセット印
刷へと代わり、世の中はワープロやパソコン、それからインターネットが登場し、文
章を作成し伝達する方法は次第に変化していった。道具はかなり進化してきたのであ
る。蔡倫の紙やグーテンベルクの印刷技術といった歴史的発明を超えるインパクトが
それら電子媒体にはあり、おそらく現在はまだその発展途上に過ぎない。今後さらに
文章の送り手や受け手に大きな影響を及ぼし続け、表現の意味を根底から変えていく
に違いない。そして、こうした変化は文学や哲学、芸術といったものから、マスメ
ディアや小規模コミュニケーション、個人的な意思伝達までをも含む多種多様な既存
概念の融合や統合化を繰り返しながら、あるいはさまざまなレベルの音楽や絵画など
との境界線を取り外しながら、一つの大きな文化システムへと進化していくのかもし
れない。それは、知的世界の大衆化が一段と加速され、職業的な知識人は相対的価値
を薄めていく時代、と言い換えることもできるだろう。
7

 その結末を見届けられない寿命の我々世代に電子媒体の可能性を
S
F
的妄想と言い
切る特権はあるが、実はその変化に対し果たすべき役割があるとすれば、今の年齢で
感じたり考えたりすることを素直に〝書き残す〟しかないように思えてくる。
 個人的に、またこうも思う。老人になったことを逆手にとって、何のてらいもなく、
何の思い込みにもとらわれず、気軽に文章を書いてもいいのではないかと。もう議論
の季節は終わった。だれを論破する必要もなく、正当性にこだわる理由もない。我々
がそれぞれに探し当てた〝何か〟を、そのまま表現すればいい。すでに我々はもう、
言葉への真摯さが障害となって失語症に陥いる思春期の少年からは遙か遠い場所へと
来てしまっているのだから。
 だが、それさえも気にする必要はない。理解してもらうことを前提とせず、大きな
声で独り言をいいながらあちこちを徘徊する老人のようになっても構わないのであ
る。最初から表現とはそういういうものだったのではないのか。
 最後の呼吸が終わる前に、吐き出すものは吐き出しておこう。
 
 今回、いつもより多くの同人が投稿してくれた。久しぶりに(比喩でなくて)ペン
8

を取った同人や大学卒業後初めての原稿を掲載する同人、あるいは新しい表現形態
を試みる同人などさまざまであり、『蕩児』らしい内容・構成となった。全員の作品
を揃えるまでに至らなかったが、それほど急ぐ必要もない。電子書籍を真似てバー
ジョンをそのつど更新していけばいい。この『蕩児八号』は現時点の完成版であり、
バージョンを重ねてながらさらに完成度を高めていくという意味を込め、「Ver.0」
として刊行しよう。誤記訂正なども含め、新作品を追加しながら「Ver.1」「Ver.2」
「Ver.3」「Ver.4」と続けられればと考えている。
 最後になったが、ここまでこぎ着けたのは各同人の努力の賜であり、とりわけ前
田君の粘り強い働きかけがなければ「蕩児八号」の刊行は実現しなかったことだろ
う。 頭が下がる想いである。紙面を借りて謝意を述べたい。
 同人 谷川律
平成二十七年元旦
9
詩三編                 村井 八郎 


 昼休み 会社の近くの丘に登る
 両側に杉の林立する
 坂道を登りきれば
 やわらかい日ざしに包まれた
 頂上にたどり着く
 同じ職場のシブチンとMだ
  詩三編
 
11

 追いつめられて いじけた顔に
 ついた光る目が僕を見おろした
 
 初老の二人 あきらめと 愚痴
 この高く広がる空に打ち上げに
 今日も登ってきている
 僕はもちろん今日もうなづき役
 さそい込む四つの目
 思いっきり にっこりほほえんだ
 
1
9
9
6
11
4
日)
 
 
12

 雨に打たれて 桜が咲く
 絹の花びらが 幾百となく
 濡れて地面にへばりついている
 てくてくとここまで来れば
 車の音も、雨音に消されて
 聞こえない
 見上げれば
 雨の中、桜は気高く静かに
 銀色の光をはなって 咲きほこる
 人気のない街中の公園で
 僕は深く深く
 息をすい込んだ
 (
1
9
9
7
4
6
日)
13

 友情とも志ともつかぬ
 二人の時が流れてゆく
 何故僕をここへ連れてきたのか
 たずねる勇気もなく
 つかみどころのない
 それでいて 穏やかで
 充ちた時が流れてゆく
 早春
 スリガラスに小枝の影がゆれている
 無口なあなたは なすすべもなく
 ショウコウ酒とコーヒーと緑茶を出してくれた
 ゆれる影
 静かにやさしく
 包まれてゆく
 春の時(
1
9
9
8
3
23






# by fox_tail425 | 2019-03-31 13:59 | 蕩  児 八号
2019年 03月 29日
  マルセル デュシャン  七
   マルセル デュシャン  七_a0163099_00303407.jpg
ぱらでいそす


雨上がりの湿り気
くちなしの白さに触れた指先
甘い香りに目を閉じるトカゲのうろこに
夏の日がやって来た
扉の向こうに
灼熱の炎の処理に耐えた釘が三本
オレンジ色に曲ってゆく
とこしえの昼の埋葬


上質な夏の再来
醗酵する葡萄汁の泡に
しみる足音の静けさ
明方の露
静寂に走る犬を追う風の
伝えるエーゲ海の嵐


日没のあとに残ったコーヒーのしずく
ブランコの眩暈に思い出が蘇る
まだ見ぬアルハンブラの柱の血
アラブの歴史の栄光のきらめき


朝の目覚めと夜の眠り
いのちの旋律
大地は初夏の湿り気の中に
新しい芽をもえいでさせ
夏の日を招いている
湿り気と暖かさ
よみがえり よみがえり
めぐり めぐり ぱらでいそす
夕べ
ライライライライ
ライラ
眠り 眠り 夢がやって来る


M.Suzuki



# by fox_tail425 | 2019-03-29 00:45 | 美術
2019年 03月 29日
  マルセル デュシャン  六
   マルセル デュシャン  六_a0163099_00311038.jpg
パソコンについて
 パソコンとは常識の時代がやってきたということかな。
愛犬のこと
仕事のこと
家族のこと
つぎに・・・・etc.
「蕩児」のこと

私とはなんであるか?
私がやってきたこと。

私がやがて死んでいくであろうこと。

私が考えてきたこと。

私とはなんであるのか。
存在するということは、
どういうことか?

この頃もう本もあまり読まなくなった。新聞だけはわりとていねいに読んでいるけれど。テレビもあまり好きな方ではなく。
前回、マルセル・デュシャンについて考えた後、いくつか考えてきた。

1 デカルトについて
2 マルセル・デュシャン以降、 タレルにひかれたこと。
3 人類の起源について。人という種について。
4 生命、あるいは遺伝子について。DNAをめぐって。
5 宇宙について。あるいはその始まりについて。
6 宗教について。あるいは古代的世界観について。
7 私について。その核心部分について。
<br>
8 私の子供達はだいたい小学生から、中学生になっていくと一応にみんな、ジャパン・ポップスあるいは歌が好きいなっていくということ。みんな歌を歌うようになていくということ。

9 ここ10年での大きな変化は携帯電話の普及ではないか。あと経済的にながびく不況。

10 長いあいだ関心を持ってきた吉本隆明にそれほど関心を持たなくなってきたこと。

11 子供たちと一緒に、ジャパン・ポップスに関心を持っていること。

12 ホームについて


# by fox_tail425 | 2019-03-29 00:35 | 美術
2019年 03月 29日
  マルセル デュシャン  五
   マルセル デュシャン  五_a0163099_16363415.jpg
             五 (終)<


 現代美術とは我々にとって何なのだろうか?

 また近代美術とは我々にとって何なのだろうか?

 上野の美術館に、大都市の美術館に、あるいは都市の美術館におさまって、観光客じみたお客を待っているものだろうか?

 あるいは富裕な個人の、あるいは法人の所有分となって、ペットよろしく愛玩されるものであろうか?

 商業資本が開く展覧会のための、客よせの道具なのであろうか?


 もちろん、私たちは毎日がお祭りというような気分を望み、それを満たすためにカーニバル的なものにでかけていくのを否定するものではない。


 「私は下層の若者達がめいっぱい着かざって、大都市の盛り場に集まっているのを見ると気持がなごむ。」


 あるいはコピーとなって各家庭の玄関、もしくは居間を飾るためにあるのであろうか。

 
 それは一種の名所旧跡のようなものである。それは社会的な認知によって、噂によって、名作となったのである。見てもどうということもない。ああきれいだな。それで終りである。社会的に有名なものを見たという、(仮に所有したという)満足感のみである。

 私は家元制度というものは嫌いである。
 先生にものを習うというのも好きではない。 

 現代絵画の世界にもまた、家元制度というのが存在しているようである。狭い仲間うちでの、
人の上下化、作品の上下化、あの人はどうだ、この人はどうだ。 etc.


 マルセル・デュシャンは貴族的な芸術家である。また非常に自己分析的な芸術家である。反芸術を唱えながら、芸術の世界を出ることもなかった。自分の世界の人間が、大家になるにつれて、神がかり的な言辞を弄するのもいやだった。芸術の世界は、石の上にも三年という、徒弟制度の世界ではなく、直感と、インスピレーションの世界である。


 それは駆け抜けるべきものである。

 インスピレーションを失った芸術家など意味はない。


 ブランクーシの「空間の鳥」。同じような「鳥」を何体もつくっている。しかしそれは各々別個のインスピレーションからできあがっている。


 自分の作品の模倣を自らおこなうべきでない。毎日、きまった時間、絵筆を握って、老いていく。そして何個かの名作が生まれる。そんなことに嫌悪を覚えた。



 息子と一緒に、小鳥のマルセルを木の下に埋めた。新緑の季節だった。目印にレンガを埋めておいた。

 その小鳥は生まれたばかりのジュウシマツのひな鳥で、まだほとんど羽がはえていなかった。末娘がじっとひな鳥を見ていたので買ってしまった。十日間ほど、生きて、死んでしまった。羽も全部、ほとんどはえそろい、成長になりかかった時だった。名前はマルちゃん、マルセル・デュシャン と娘が名づけた。ちょうど、この原稿「マルセル・デュシャン」をこの娘に、ワープロで打ち込んでもらっていたので、そう名づけてしまった。


 本棚の一箇所をとっぱらって、ひな鳥のいるところをつくった。一日三~四回、熱湯でふやかした粟をスポイドで、与えた。その頃になると小鳥のマルセルは、一生懸命、鳴いた。そして首をのばして、粟を飲み込んだ。首のつけねに二つある餌袋が一杯になると、満足するのだった。


 「お父さん、ほらみて、鳥の赤ちゃんがいるよ。」
 「鳥にはスポイドでえさを一日に三~四回与えてください。」
 「鳥がぐわい悪くなったらどうしたらいいんですか。」
 「そうですか、ひたすら温めてやるしかないんですか。」


 小鳥は家につれて帰る途中、車の中でガタガタふるえていた。


 「デュシャン、デュシャン。」
 「マルちゃん、マルちゃん。」


 「マルセル、マルセル。」
 「ピヨちゃん、ピヨちゃん。」


 新緑の季節だった。
 家のかたわらにある木の根元に、息子と一緒に小鳥のマルセルを埋めた。



 桜の季節が過ぎて、今は新緑の季節。木々の緑が、目にやさしい。そして今、林の中にある山桜が満開である。


 家のベランダにあるスノーボールも満開である。金魚草、パンジーも咲いている。河原にある菜の花も咲き出している。もう少したつと、菜の花が満開になる。



 「もう僕はしばらく絵を描くのをやめようと思っている。」
 「詩を描いてみたいな。」


 私たちは、アマチュアである。
 私たちは、自由である。


 マルセル・デュシャンは貴族的な芸術家である。
 ミケランジェリは、貴族的なピアニストである。


 彼には理想がある。
 彼の瞳は暗い。


 理想を追い求めているから、あんなにやせ衰えているのだ。
 理想を追い求めているから、あんなに彼の瞳は暗いのだ。


 「ミケランジェリの演奏は成功したときはすばらしいのだが、失敗したときは、悲惨なことになる。」


 「自分をコントロールしている、自分というものがミケランジェリにはある。」


 ミケランジェリのもってきたスタンウエイ(ピアノ)がソニーにある。


デュシャンにとっていつが、一番幸福な時期だったのか。

 デュシャンが描いた、印象画風の明るい風景画がある。それは十四~十五才頃の作品で、現存する一番古い作品の一つである。自分の生まれ育った場所の風景である。また、自分の妹たちや、父親などを描いた、スケッチがある。

 この頃が、やはり一番幸福だったのではないか。


 村井氏の本箱から抜き取ってきた「デミアン」が私の本箱に並んでいる。

 「ヘッセの『荒野の狼』は二十世紀のカラマアゾフ兄弟だ。」

 デミアンはどうも、初めて読んだ時に、これは昔読んだことがある、この場面は知っている、というような気持におそわれながら読んだ。



 「ほら見てごらん。一つ一つの単語にはこだわらないで、全体をつかんでいるでしょう。」



 「僕の好きな作家はトーマス・マン。
  僕の好きな作品は『トニオ・クレーゲル』。」



 こんど、展示会で、一つのスペースをもらったという連絡を村井氏から受取った。後にその写真を受け取ったが、それは何点かの絵と、床面にズラッと紙コップを並べたものだった。


 村井氏の絵は、絵というメディアに満足、自足しきれないで、もっと空間的な造形の方向へ、伸びていこうとしているところがある。だからといって、完全に三次元的な、空間的な彫刻などに行けば問題が解決されるものではない。


 「本当は彫刻がやりたいんやけどお金がないからね。」


 絵には絵の独自の世界がある。二次元の芸術よりも三次元の方が優れているということはない。


 先端的な美術というものは、絵の世界から離れている。

 それは絵というものが、あまりにも過去の芸術・美術というものに結び付きすぎていて、そこから、飛翔するのがむつかしいのだ。


 「行動展の、彫刻の部はいつ見てもおもしろいね。」
 「行動展は、むしろ彫刻の部に人気があるんだ。僕もいつもおもしろく見ている。」
 


 なぜ、オリジナリティーがあると思われるものと、そうでないものがあるのだろう。


 人はみんな、オリジナリティーをもっているという、私のあまいテーゼからいくと、誰が描く絵も、みんなオリジナリティーがあるはずだ。しかしそうはなっていない。


 それは、オリジナリティーがあるものに価値があり、そうでないものには、価値がないという判断にとらわれているからだ。
 オリジナリティーがあるということと、オリジナリティーを喪失しているということは等価である。



 行動展を見ていて、一つの情景、静物糖を写真のように、リアルに描いている一群の人々がいる。ここには一つの驚きがあった。対象の選択に意味があるのだ、あるいは構図にといった考え方もあるだろう。


 それなら何故、写真を選ばないのだろう。そんなに、手間と時間を、写真でやれば簡単にできるのに、そんなについやすのだろう。


 思想的な主義・主張。ただその美術的な作品が、造形的にすぐれていればいいというものではない。そういう純粋造形美術的なものもあるだろうが、それは一定の世界観・社会観といったものを前提している。



 「それは簡単なことです。テレビジョンが各家庭に普及すれば、その社会は現代に突入するのです。」




 「テレビジョンの映像は、人間の、本能と近いところに、ダイレクトに訴えかける。各個人の、知的な判断といったものを通過せずに。逆にラジオというものは本来的に知的なものである。




 「私は元来、ラジオ畑出身なので、こんどまたラジオに戻って仕事をするということに、不安と、期待をもっています。」


 「私はNHK教育テレビのドイツ語講座を受け持っていますが、本来テレビでは語学は学べません。ラジオならそれは可能ですが。」


 
 ダビッド・アミット氏を訪ねたが不在だった。


 「いらっしゃい。ヨシ。」


 仕方がないので二階のラン・ツールを訪ねた。


 「ようこそ、いらっしゃい。まあ、あがりなさい。疲れたでしょう。」
 四十四~五才になる小柄な人が私を迎えてくれた。


 「よし、これはヨーム・キプールの歌だよ。シュロモー・カールバッハには、こんなに穏やかでいい歌もあるんだよ。」


 「私の両親はアメリカから来たんだが、ちっとも私は英語がしゃべれないんだよ。」



 ランのアパートメントには、玄関に子供たちの絵がいっぱいかけてあった。
 ある時に、夜訪ねてみると、
 「ヨシ、ほら見てごらん。ツビカ(小鹿)だよ。」
 といって一つの部屋にいる小鹿を見せてくれた。
 「私はいくらか年をとったが、花嫁をむかえて、家族をもちたいのだよ。」
 ランとダビッド・アミットは友人だった。



 私は芝生の上に座って、大きく輝くオリオン座を見ていた。
 「やあ、ロニー。」



 デュシャンは、映画は作っているが、テレビジョンには手を触れなかった。T・Vは、現代美術にとって重要な素材の一つである。たとえば、ある日本の女性は、デュシャンの「階段を降りる裸体」をもじって、階段の一段一段にテレビ・モニターをとりつけ、階段を降りてくる女性を映し出していた。





 「大ガラス」のレプリカの一つは東大の教養学部の美術館の中にある。いつ展示されたのかわからないが、私はセゾン美術館で、これを見た記憶がある。


 アンディー・ウォーホールの赤と青のハートをいっぱいならべた絵。これもデュシャンの中にある。青と赤のハート。


 デュシャンビアン。


 1 デュシャンの絵画の流れ。「処女から花嫁への移行」を頂点とする。

 2 「大ガラス」をめぐって。

 3 レディー・メイド。

 4 ポップ・アートの先駆的作品。

 5 戦後の「遺作」につながっていく作品群。

 6 「グリーン・ボックス」

 7 シュール・レアリズムとの関係。あるいはダダイズムとの。

 8 現代美術のなかに占めるデュシャンの位置。

 私にはピカソ・ブラックをふくめ、立体派の絵がよくわからない。その本質的なところがわからない。



 それは一つのものをいろんな角度から見て、それを一つの画面に継ぎ合せたものなのだろうか。なぜ、灰色の、にぶいような色を使うのだろうか? 物体を面の集合体として、いろんな面を組み合わせているのだろうか?





 デュシャンの原点を形づくる作品群は、ピカソ・ブラックにつながる立体派の絵画群である。


 しかしデュシャンは、そこからすみやかに決別してしまっている。



 レディー・メイドと工業製品はきりはなせない。私もまた、仕事として毎日、工業製品を作っている。



 工業製品とは、金属ないし、プラスチックに代表される素材で作られていること。第二番に、量産品であること。第三番目に、馬鹿高い値段ではなく、大衆的な商品であること。


 工業製品、大衆的な商品を一つ選び出し、それに署名することによって、それを一つの芸術品にまで高めること。


 それが、レディー・メイドだ。


 デュシャンの、アメリカでの最初のレディー・メイドである「折れた腕」(雪かきシャベル)。あの有名な男性便器である、「泉」。



 私たちが「泉」を芸術的な作品として鑑賞していた時に、子供たちが通りがかった。



 「あれ! あれ便所じゃないの?」



 私はふっと、われに帰った。


 酒を飲むことによって酔うこともできるが、ある観念を飲むことによって酔うこともできる。



 東武練馬には、広い空き地がある。そこは丈の高い草がしげった空き地である。私はよく、柵をくぐりぬけて、その中を散歩していた。時々、犬を連れている人に出会うこともある。かつて、そこを舞台に、村井氏が登場するショート・ショートを書いたことがある。



 デュシャンの作品中、現代美術シーンにもっとも影響を与えたのは、レディー・メイドであるといわれている。この間、村井氏がこころみた、紙コップを部屋一杯に並べるということには、レディイ・メイドに通じるものがあるように思われた。


まず第一に、紙コップのような、ありふれた工業生品を使うこと。第二に紙コップを部屋一杯に並べるということは、一見無意味な行為であるように思えること。第三に、紙コップの本来の使用目的とは、紙コップ自体がきりはなされていること。



「この頃君は抽象的な、あるいは造形的な作品ばかり描いているね。」


 「僕は近所の人達に、看板屋さんだと、あるいはペンキ屋さんだと思われているよ。」




 「僕は村井の描く、具象画を見てみたいよ。静物画でもいいし、風景画でも。」



 ある意味で造形的な作品は、抽象的な作品はごまかしがきくように思う。悪くいえば、たまたま入選したパターンを毎年なぞっていれば、また毎年入選していくというパターンもおこりうるわけである。


 
 あるいは人々は次のように思うかも知れない。大家になるということは、その人のオリジナリティーを、その人が発見し、具象化したのだと。しかし私はつまらなかった。西武美術館(セゾン美術館の前身)で、あるシュールレアリストの作品を見ていると、その人の大家になってからの作品というのは、同じパターンの作品のくりかえしである。そのバリエーションである。それは自分の大きなアトリエで描きあげたのかも知れない。


 私はそんな作品よりも、まだ、自分の型を見つけていない、すなおな、初期の作品に心をひかれた。


 自分のオリジナリティをおしつけることもしない。圧倒的な社会の影響の中、自分というものを、素直に開いている。


 それはこれから伸びて行こうとする少年・少女たちの絵である。



 あらゆるものに新鮮な目を開き、

 あらゆるものを吸収し、今、伸びていっている、ということを感じさせる。



 そんな絵を見るのは楽しい。






おわり



# by fox_tail425 | 2019-03-29 00:20 | 美術